映画と音楽が好きな愛西スタッフMと申します😎🎥
当事業所では毎日訓練生さん、スタッフを含めて朝礼をおこなっています。
毎週金曜日は交代で一人の訓練生さんにお題を決めていただき、ひとりずつお題を元に発表していく朝礼をおこなっています。
先日のお題は「今までで一番、魅了された人物」を発表するというもの。
皆さん有名人、人物以外にもイベントなど様々な人物やものを発表されていました。
そこで私が発表させてもらったのはバイクレースで80年代に活躍した日本人レーサー平忠彦選手でした。
小学校高学年から車やバイクのレースを観るのが好きで(と言っても当時あまりテレビで放送はしていませんでしたが…)
特にバイクのレースを観ることが多く、鈴鹿8時間耐久レースや全日本選手権、世界ロードレース選手権(今のMotoGP)などサーキットで観戦していました。
私が中学1年生の時、近所のバイクショップで平忠彦選手のサイン会が開かれ、私と同じくバイク好きの友人とサインをもらいに自転車で出かけました。
そこには「大人の世界」が待っていました。
なんとサインが貰えるのはバイク用品を購入された方のみ…。
金に物を言わせてバイク用品を買い漁っている大人たちの隙間から平忠彦選手を眺める私。
それを尻目に、お父さんがバイクレーサーだった友人は、バイク用品を購入、彼はうれしそうに平忠彦選手のサインをもらっていましたね…。😂
純粋なM少年が「購入者限定」という「大人の世界」を初めて味わった瞬間でした。
当時から日本のバイクメーカーのホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキは世界のレースで活躍していましたが日本人レーサーとなると少なく、ひとつのカテゴリーに1~2名出場するくらいで寂しいものでしたが、平忠彦選手はヤマハの日本人ライダーとして最高峰カテゴリーの500ccクラスで3位表彰台に登る活躍、世界チャンピオンにはなれませんでしたが、私にとっては世界で活躍するスーパーヒーローでした。
500ccのバイクなんてF1や車のレースに比べたら…と思うかもしれませんが、当時のホンダNSR500というレース用バイクの最高時速は320km。
300km前後の新幹線と同じようなスピードが出るバイクにまたがっただけの生身の人間が100km前後のスピードでコーナーに飛び込んでいく姿に小中学生の私は興奮し、憧れていました。
しかしそんな危険なバイクの世界ですからアクシデントも多く、平忠彦選手引退後、期待されていた若手日本人レーサーたちは相次いでこの世を去ってしまい、レースを観ることが辛くなり観戦することを止めてしまいました。
現在ではレース名やレギュレーション(規制、規則)も大幅に変わり、私自身、動画などでレースの映像を観る機会が増えてきました。
そのうち鈴鹿8時間耐久レースでもまた観戦にいきたいと考えています。
レースドキュメンタリー映画をご紹介します🎥
「プライドワン」(1986年)
70年代~80年代当時、世界ロードレース選手権で活躍する海外のレーサーたちや、平忠彦選手はもちろん日本人で初めて350cc世界チャンピオンになった片山敬済選手などの一流レーサーがヨーロッパを転戦する模様を追ったドキュメンタリー映画。
私の記憶が正しければ、名古屋では「ロッキー4」の同時上映で、中学生の私も当然劇場にかけつけていたはずです。