こんにちは、フレーベルスタッフです😄
今回は私のプライベートブログをお送りいたします🌟

 

 

少し前になりますが、国宝であり、法隆寺と共に日本で最初の世界文化遺産となった、「姫路城」を訪れました。
このお城は2回目の訪問であり、1回目は平成の大修理前の2010年(平成22年)でした。
威風堂々とそびえる白く輝く「大天守」に圧倒されました。別名「白鷺城」と呼ばれるように白い鷺が舞い立つように見えました。当時は大修理前だったために大変な人だかりで、最初の菱の門から既に行列で、大天守までたどり着くまでに時間を要しました。その為、時間の都合上見られなかった箇所が多々あり心残りでした。そこで、綺麗に化粧直しされた天守を見るために、再度訪れました。
漆喰壁の塗り替えや屋根瓦の葺き直しを中心に、平成の修理工事が終わったのが、2015年(平成27年)、それから9年経過しました。写真で見たところ、工事が終了した頃は真っ白な大天守でしたが、残念ながらあまり違いを感じませんでした。

 

2010年の大天守

 

2023年の大天守

 

しかし、今回は「百閒廊下」、「化粧櫓」、「本丸(備前丸)」、「お菊井戸」(「播州皿屋敷」で有名なお菊ゆかりの井戸、夜な夜なお菊の「1枚…2枚…」と悲しげに皿を数える声が聞こえるようになったという怪談話が残されている)を見ることができました。

 

百閒廊下

化粧櫓

本丸

お菊井戸

 

そして、何より、今回の1番の発見は、「千姫」がお城に10年間住んでいたことです。
「千姫」といえば、「徳川家康」の孫娘で、「豊臣秀吉」の息子「秀頼」の妻だった人です。
昨年の大河ドラマ「どうする家康」にも、終盤に出ていました。
この千姫ですが、大阪夏の陣で燃えさかる大阪城から助け出された後に、徳川四天王の一人、「本多忠勝」(山田裕貴君)の孫の「忠刻」と再婚、忠刻の父「忠政」が伊勢国桑名藩から姫路藩主になったため、忠刻と伴に入城しました。
しかし、息子は3歳で、忠刻は10年後に病で亡くなったため、江戸に帰りました。

 

千姫

 

このように、新しい発見を求めて、また、訪ねたいと思いました。
次回は、無料Wi-Fiを活用しての音声ガイドや、ARを活用したいです。