こんにちは、フレーベルスタッフです🌞😌
白洲次郎・正子夫妻をご存知ですか❓
2009年にNHKにて夫婦がドラマ化されており、次郎が伊勢谷友介、正子が中谷美紀の配役でした。
華麗でカッコイイ夫婦のイメージを抱いていましたが、二人がどんな功績を残したのかは知りませんでした。
そこで、今回、松坂屋美術館にて、二人に関する特別展が開催されていましたので、行ってきました。
展示会は、二人が住んだ「武相荘」(東京都町田市)での暮らし方に注目されていました。
「武相荘」は第二次世界大戦が勃発し、敗戦と食糧不足を予測し、農業を営むため疎開先として購入した農家で、終の棲家です。
まず、白洲次郎は、戦後の日本において、イギリス仕込みの流暢な英語、持ち前の負けん気を武器に、日本の先頭に立ちGHQとの交渉にあたった政治家で、東北電力の会長を務めるなど、実業家としても活躍しました。
逸話として「マッカーサーを怒鳴りつけた日本人」と知られています。(所説あります。)
GHQと政府各省庁の連絡役として設けられた「終戦連絡中欧事務局」に配属された白洲は、クリスマスの日、昭和天皇からの贈り物をマッカーサーに届ける為GHQを訪れた。
しかし、マッカーサーは「その辺にでも置いてくれ」とぞんざいな態度を示す。
これに激怒した白洲は「天皇からの贈り物をその辺に置けとは何事か!」と言い放ち、その剣幕にマッカーサーも謝ったと言われています😲
次に、正子は、樺山伯爵家の二女として生まれ、14歳でアメリカ留学しています。
(祖父は西南戦争で西郷隆盛と戦っている。ジョサイヤ・コンドル設計の家に住んでいた)
随筆家・美術収集家・能楽師として活躍した多彩な女性です。
随筆家としては、日本文化や歴史、美術、旅行など幅広いテーマについて独自の視点で随筆を書いています。東奔西走する姿から「韋駄天お正」とあだ名されていました。
美術収集家としては、日本の伝統工芸や陶磁器、絵画などを収集し、自宅の「武相荘」に展示しました。「武相荘」は現在、国の重要文化財に指定されています。
能は、幼少期から習っており、能の美しさや奥深さを多くの人に伝えることに情熱を注ぎました。
次郎は樺山家と親しかった吉田茂と出会うことで、政治家となることから、正子との結婚は大きな影響を与えています。
ちなみに、今回の展示で目尾引いたのは、次郎がイギリス留学中に乗り回していた、愛車のベントレーと、正子が愛用した、ルイヴィトンの鞄でした。
昔からモノグラム柄は変わらないですね👜✨
次郎結婚直前の頃
東北電力会長時代
正子20歳の頃
正子
1924年製ベントレー XT7471
ルイヴィトン製バック
武相荘